昨日、仏検2級の面接試験を受けてきた。仏検は英検と比べると圧倒的に受験者数が少ないので体験記自体あまり需要がないと思っている。
けれどもタイトルに書いたように昨日の面接のあとキュッと胸が締め付けられるような後悔の気持を抱いてしまったことについては、外国語を学んでいる方になら共感いただけるかもしれない。
そういう意味で昨日のことをシェアできたらと思い立った。
自分自身の学習の記録が一つの大きな目的でもあるので覚えている限りを振り返ってみた。
面接官はフランス人女性と日本人男性の二人。フランス人の方は私より少し若いだろうか、穏やかで優しそうな方だった。男性はそれよりさらに若くにこやかで快活な方だった。時間は5分。
試験で求められるのは、日常生活において、自分の伝えたいことを述べ相手と対話ができること。
評価基準はコミュニケーション能力(自己紹介、日常生活レベルの伝達能力)とフランス語能力(発音、文法、語、句)を判定
私が思うに、この試験に合格できたからと言ってすぐにもフランスで何不自由なく生活できるかというと、それは無理。けれども、外国人としての私たちがフランスの方とコミュニケーションをとりお互いの基本的な考えを理解し、相手の考えを聞き、こちらからも伝える最低限のことができるという意味がここにはあるのだろう。
私は実に、この点において今回の面接に悔いを残したと思っている。

面接の内容をどのくらい公開してよいのかわからないけれど尋ねられたのは大体以下のような感じだった。なんと5分間で話したのは「元日にしたこと」のみだった。
面接官:Bonjour!
私 :Bonjour!
面: 元日はどのように過ごしましたか?
私: 近所の神社に初詣に行き新しい年を健康に過ごすことができるようにお参りして
きました。 お守りを買いたかったのですが、そういうものはありませんでした。
面: それは残念でしたね。普通はあるはずですが小さな神社だったんですね。
私: ええ。小さな神社です。でもたくさんの人がお参りに来ていました。
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というように、その後は帰宅し、いったん横になってから起床しお祝いの支度をして私の母も来ていたので皆でおせちを食べたこと、翌日は娘一家が来て全員で7人にもなったので出前の寿司をとったこと、神社ではお守りも買えなければ、お酒なども振るまわれなかったが夫と神社に詣でることができ良い時間が持てたことなどを話した。
最後に女性の面接官からおせちの支度は大変ではありませんでしたか?と尋ねられた。
私は基本的には主婦なので料理のことを聞かれるかもしれないと、普段よく作る野菜スープやフランスで習ったラタトゥイユの作り方などはフランス語で説明できるよう練習していたのだが雑煮や煮しめなどのおせち料理の作り方をフランス語でどう説明するかについては考えていなかった。
虚をつかれたような感じになってつい「慣れていますから。おもちをスープに入れるだけなんで」のような返答をしてしまった。
少し会話の温度が下がったような気がしたところで外から係りの方のノックが聞こえ面接は終了した。
まあ大したことでないと言えば大したことではないのかもしれない。
ただ、試験が終わって家路につく間にその自分の取ってつけたような受け答えがどんどん嫌になってきてしまった。
私が母から受け継いだお雑煮の作り方は、醬油ベースでお餅の他には、鶏肉、人参、大根、かまぼこ、小松菜、三つ葉、柚子などが入る。シンプルではあるが、ここ数年おせち料理がどんどん手抜きになってきても、元旦のお雑煮だけはこのスタイルだ。
受験生に合わせ面接官は質問の内容を変えてくると聞いたことがある。私の姿を見て面接官の方がこのテーマを選んだとしたら、私がささやかながら守ってきたお正月のルールについて、言葉足らずでもなぜもっと誠実に答えなかったのかという悔いが私の胸の内でざわついた。
このことはフランス語の面接試験に限ったことではなく、他の外国語学習者にも、或いは外国語を使い日本を紹介する立場にある人達全てに通ずることなのではないか。
下手でもいいから心のこもったコミュニケーションを心がけることの大切さに気付かされたような気がした。
帰宅すると、折しも大相撲の優勝決定戦が繰り広げられている最中だった。
新大関として初場所に臨んだ安青錦が、失うものは何もないと体当たりで向かってくる巨漢の熱海富士を制し優勝を果たした。
優勝インタビューでウクライナ出身の弱冠21歳の新大関は、みごとな日本語で大関としての責任を負い眠れないほどのプレッシャーがあったこと、応援してくれる観客のおかげで優勝を果たせたこと、そしてそのことを師匠に一刻も早く報告したいことを語っていた。
異国の地にあり、自国語ではない言語で気持ちを込めて語ることのできる人間の本物の姿を見たような気がした。
私の場合はそれに比べるまでもない些末な経験ではあったがこれからは心のこもった言葉ということに気をつかいながらフランス語とも向き合っていきたいと考えている。